黄金寺院と白熱の国境セレモニー!シク教の聖地アムリトサル
こんにちは!
インドには複数の宗教の聖地がありますが、宗教によってその雰囲気は大きく違います。
今回は、シク教の総本山、黄金寺院があることで有名なアムリトサルを紹介します。
アムリトサルとは
アムリトサルは、パキスタンと国境を分かつインド北部のパンジャブ州にある町です。人口は約113万人(2011年時点)で、シク教徒の言い伝えによると、16世紀後半にシク教4代目のグル(尊師)ラーム・ダースによって建設されたとされています。
アムリトサルは、西方との交易の要衝として栄える一方で、英領インド時代の1919年に「アムリトサルの大虐殺」が起こり、1984年に「ブルースター作戦」が実行された悲劇の歴史を持つ場所でもあります。
アムリトサルの主な見どころは、黄金寺院や国境でのセレモニーなどです。
黄金寺院
黄金寺院は、1604年に完成したシク教の総本山で、別名ハリマンディル・サーヒブとしても知られています。人口池アムリタ・サラスの中央に建物があり、その中にはシク教徒の聖典「グル・グラント・サーヒブ」が置かれています。
シク教は、ナーナク(1467~1539年)によって開かれた宗教で、出家やカーストなどを否定し、世俗の職業に就いてそれに励むことを重んじています。
シク教徒の男性は、外見的には、一般的なインド人としてよくイメージされるターバンを巻いた人たちです。インドの人口の1.7%が信仰し、全世界で約2,500万人の信者がいるとされます。
シク教徒には富裕層も多く、社会的に活躍している人もいます。
黄金寺院は、建設当初から現在のような見た目だった訳ではなく、シク王国(1799〜1849)の創設者ランジート・シンが聖室を金箔で覆ったことにより、黄金寺院と呼ばれるようになったそうです。
一方、その輝かしい見た目の裏では、凄惨な事件の現場になることもありました。
1984年、当時のインディラ・ガンディ首相が、パンジャブ情勢の悪化に伴い、シク教過激派を排除するため「ブルースター作戦」を実行しました。
これにより、黄金寺院に立てこもった多数の過激派や民間人など、少なくとも400人以上が殺害されました。
基本情報
名称 |
Golden Temple (Harmandir Sahib) |
営業時間 |
年中無休 |
入場料 |
無料 |
所要時間 |
約1~2時間(関心度などによって個人差があります) |
備考 |
入口で靴を預けます。入場前に足を洗い、頭を布で覆う必要があります。たばこ、革製品は持ち込み不可です。 |
※訪問時点の情報です。
実際に行ってみた
入口は四方にありますが、メインの入口は北側にあります。
中に入ると敬虔なシク教徒たちがたくさんいます。
アムリタ・サラスで沐浴している人たちもいます。
黄金寺院は、こんな感じです。信者の列が途切れることなく続いています。
黄金寺院を遠くから見ると、こんな感じです。騒々しさの中に穏やかさもあり、居心地が良いところです。
夜になるとライトアップされます。カメラのF値を下げ、露出時間を長くして写真を撮ると、神聖さが増します。
近付いてみるとこんな感じです。
夜になっても信者の列は途絶えません。
朝焼けに照らされる黄金寺院も神々しいです。
早朝と夕方から夜にかけての2回ほど訪れましたが、どちらの風景も美しいです。
多くの人々が訪れ、熱心に祈りを捧げる様子は、ここが聖地であり、シク教徒にとって大切な場所であることを強く感じさせます。
敷地内には食堂(Guru Ka Langar)があり、1日約10万食の豆カレーを無償で提供しているそうです。
ドキュメンタリー映画「聖者たちの食卓」(2011年、ベルギー)では、この食堂の模様が描かれました。
アターリー/ワガ国境
アターリー/ワガ国境は、アムリトサルから約30km西にあるインド・パキスタンの国境の一部です。
元々、英領インド時代には、両国は1つの国でした。しかし、ヒンドゥー教徒が多数派を占め政教分離を掲げるインドと、イスラム教徒のための国を目指すパキスタンは相容れず、1947年の独立時に、パキスタンはインドから分離独立することになりました。
アターリー/ワガ国境では、1959年以降、インド国境警備隊とパキスタンレンジャーズの兵士たちによるクロージングセレモニーが、基本的に毎日行われ、観光客が観覧できるようになっています。独立後、何度も衝突してきた歴史を持つ両国ですが、このセレモニーは、両軍が統率のとれたパフォーマンスを行い、お互いの観客がそれを応援するという友好的なものになっています。
その一方で、過去にはテロや両国間の緊張の高まりでセレモニーが一時的に中止になったこともありました。また、最近では、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、2020年3月7日から中断されているようです。
基本情報
名称 |
Atari/ Wagah Border |
時間 |
夏季16:15~17:00、冬季17:15~18:00 |
入場料 |
無料(乗り合いタクシーでの往復ツアーは1人250ルピー~) |
所要時間 |
約4~5時間(アムリトサル市内からの移動時間も含みます) |
行き方 |
黄金寺院近くから乗り合いタクシーなどでアクセスできます。ジャリヤーンワーラー庭園入口手前あたりでツアーの客引きをしていますが、出発前ギリギリだと同乗者が集まりにくいです。 |
備考 |
途中でセキュリティーチェックがあるので、パスポートを携行する必要があります。かばんなどは有料で預ける必要がありますが、カメラやペットボトルは持ち込み可能です。 |
※訪問時点の情報です。
実際に行ってみた
乗り合いタクシーで移動し、国境から約600m手前の駐車場で降ります。そこからしばらく歩くと大きな建物が見えてきます。
建物内には多くの観客席があります。席は先着順ですが、外国人だと前方のVIP席に案内されることもあるようです。
日差しが大変強いですが、屋根のない席が多いので、日傘や帽子があった方が良いと思います。
インド人の観客の中にも、ホイッスル付きの傘で日差しを防いでいる人がいました。
映画の宣伝のような国境警備隊(BSF)の写真が掲示されていて、俄然期待が膨らみます。
最初は前座のようなかたちで子供や女性たちが登場し、ちょっとしたパフォーマンスをします。
しばらくすると、いよいよBSFが登場します。
とても力強いパフォーマンスです。迫力があります。
ちなみに、パキスタン側の雰囲気はこんな感じです。
国境のゲートが開き、双方がパフォーマンスをした後、国旗が降納されます。
帰り道は、たいてい皆同じタイミングで帰り始めるので、かなり混雑・渋滞します。
ジャリヤーンワーラー庭園
ジャリヤーンワーラー庭園は、英領インド時代の1919年に起こった「アムリトサルの大虐殺」の現場になった庭園です。
この事件は、2人の政治指導者逮捕などに抗議し、集会の禁止が通達されていた中で、ジャリヤーンワーラー庭園に多くの人たちが非武装で集まっていたところ、イギリス人のダイヤー准将が率いる小隊(グルカ兵で構成)が包囲し、解散の警告なしに無差別射撃を行なったものです。
これにより、約400名が殺され、1,000名以上が負傷するという大惨事になりました。
基本情報
名称 |
Jallianwala Bagh |
営業時間 |
6:30~19:30 |
入場料 |
無料 |
所要時間 |
約30分~1時間(関心度などによって個人差があります) |
※訪問時点の情報です。
中はどんな感じ?
入口は黄金寺院の近くにあります。銅像が目印です。
庭園内の壁には、生々しい弾痕が残っています。
敷地内には、慰霊碑が建てられています。
逃げ惑う人々が飛び込んだ「殉教者の井戸」もあります。
その一方で、現在は家族連れや地元の若者たちの憩いの場にもなっています。
食事・宿泊情報
食事は、Shudh Dhabaとドミノピザを利用しました。どちらもあまりおすすめできません。アムリトサルでは、美味しいレストランを見つけることができませんでした。
宿泊先には、Sharma’s Bnbを利用しました。黄金寺院に近く、立地は良いですが、ローカル感が強い宿なのでおすすめできません。
移動について
宿の場所にもよりますが、移動はタクシーまたはオートリクシャーがメインになります。その一方で、旧市街の道は狭く、交通規制もあるので、車では通れないところがあります。
アムリトサルでは、UberやOlaといった配車アプリが利用できます。
旧市街から空港まではOlaで415ルピーほどでした。
気候について
アムリトサルの降水量は、インドの他都市同様、例年、南西モンスーン(6~9月の4カ月間)の時期に集中しますが、それほど雨は多く降りません。気温は、最高気温が真夏(4~6月)で40度超、冬期で20度前後、最低気温が真夏で20度台前半、冬期で5度以下になるようです。
アムリトサルへの行き方
アムリトサルへは、国内主要都市からフライトが出ていて、シンガポールやドバイから直行便も就航しています。
また、かなり時間は掛かりますが、ニューデリーやチャンディーガルなどから鉄道やバスでアクセスすることも可能です。陸路では、ニューデリーから約6~12時間、チャンディーガルから約4時間半ほど掛かるので、空路でアクセスすることをおすすめします。
それでは良い旅を!